子育て・年度末ふり返り
年度末。
長男が、一年の振り返りを持って帰ってきた。
あー。なんか色々あったよなぁ( ω-、)
保護者コメント欄、夫に書く?って聞いたら
「俺は表舞台には立たん。」やと。
ん? 書くのがめんどくさいとか?( ´-ω-)
夫、長男の勉強は長年コツコツとみてきた。
仕事が遅くなった時も
脅威の25日間連続勤務の中でも
たまの休日の朝も
ひたすら宿題の丸つけ。
(勿論つるかめ算は分かるが、
どんな風に教えたら5年生に分かりやすいかを研究していた様子。。。)
仕事の手帳に図形を書きなぐり
(もはや誰の宿題?)
そう言えば夫、長男が2年生の時は
音読サイン欄に毎日いろんな絵を描いてたな。
今日はアンパンマン。とか
今日はトトロ。とか (決してうまくない)
で、今日は何だろー。って言いながら
日々息子と音読してたら
ついに担任の先生から
「保護者のサイン欄は、苗字でサインして下さい」と夫が注意を受ける…
…というような紆余曲折?を間近で見てきただけあって
保護者コメントは夫が書くかなと思い、きいたのだが
▼ そういや確か長文は書けなかったか…
予想外のこと - 専業主婦の在宅ワーク---実験中 【個人の日記です。】
▼ よくこれで我々再婚できたな。。。
メル友 - 専業主婦の在宅ワーク---実験中 【個人の日記です。】
表には全然でないんだけど
実は誰も見てない場所でめっちゃ努力している
それがこの人のスタイルかも知れないな。
表面だけイクメンアピールされるより遥かに良いよね。
…で、保護者コメントは私が書くことに。
ちなみに夫は直接本人に
「これからも日々精進でな。」と武田真治風に伝えてた
(人生は、やるか?超やるか?の二択。)
そんなこんなで肝心の保護者コメント…
あーこれ感慨深くて書けん (;∀; )
お風呂で延々と悩む→わざわざ下書き→本書き
我ながらすごーい気合い…
(コメント欄3行しかない。まさにTwitter状態)
想いをかなり凝縮してなんとか書き終わり、
息子に渡すと
息子。
ニヤッと笑って再度、大きな声で読み出した
(母ちゃんに誉められたアピール)
こっぱずかしかったけど
まあ…、 真剣に書いて良かったわ (^_^)
息子も、この一年で大きく成長した。
嫌なことも、大変なことも、あっただろう。
私からブチブチ言われながらも
苦手なことに取り組み続けた
それが一つ。
もう一つは、好きなことに熱中する時間。
息子の書いた小説を、あえて「大作でした」と表現したが
好きなことに取り組む時間が
息子の原動力になっていたように思う。
大変なことと、好きなこと。
どちらも同時進行の一年だったが、それで良かったんじゃないかな。
何不自由なくのびのび育ててあげられた訳でもないし
一方、苦行ばかりを押し付けたりもしていない
成功もあり、失敗もあり、笑ったり怒ったり
明暗を含めて心の赴くままの5年生1年間。
うん。よく頑張った。
頑張ったよね。
▼ 最近またこういう現象が出てきて
学校での調査が始まるらしい…
ヤングケアラー~幼き介護:私もヤングケアラー? きょうだいの世話、気づかれにくい負担 | 毎日新聞
▼ 壮絶なヤフコメ民衆(既に削除か)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e31683732cdf55cc17755d93049722bd43cd3e86
ヤフコメなぁ。
これ、なんなんだろうーとモヤモヤ過ごすこと数日。
うちは年の差兄弟(しかもステップファミリー)なので
こういうのを見ると、ついモヤッとくるのね。
世間的に困っている人がいるのは分かるし、
そのための調査というのも理解している。
こちらもやましいことが無いなら、普通に堂々としておけば良いだけのこと。
それは分かるんだけど
結局またこういうことで
「離婚かわいそう」
「再婚かわいそう」
「年の差兄弟かわいそう」
世の「かわいそう攻撃」の風潮が加速するのかなと。
年の差兄弟の悲惨な話ばかりに偏重して、
頑張っている側のケースは(メディア的には)無いに等しいのね。
それは、ちょっと違うんじゃないか。
確かに我が家、年の差はあるし
下の子の面倒を見てもらうこともある。
だけど学業や趣味に支障のないよう、最大限に気を配ってきたつもり。
そういう目に見えない努力が軽視されて、
あたかも
「両親揃って経済的にも時間的にもゆとりがある標準モデルが、素晴らしい家庭の子ども」
「それ以外は、かわいそうな子ども」と色眼鏡的に言われている気がして…
▼ 自分の気持ちをうまく説明できない時の、困った時は千葉先生。
子供の頃にトラウマを与えないように、というのは異論を許さないみたいに見えるけど、トラウマ的経験に個々人がどう反応するかはバラバラなのであって、それが悪い(とはどういうことかも不明だが)結果になることもあれば、それでも平気だったりそれが創造性になったりもするし、一般論は言えない。
— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2020年9月26日
千葉雅也『ツイッター哲学』発売 on Twitter: "子供の頃にトラウマを与えないように、というのは異論を許さないみたいに見えるけど、トラウマ的経験に個々人がどう反応するかはバラバラなのであって、それが悪い(とはどういうことかも不明だが)結果になることもあれば、それでも平気だったりそれが創造性になったりもするし、一般論は言えない。"
そもそも親がどう振る舞ったら子供はこう育つという確約はないわけで、結局、偶然性ですよね。もちろん、こういう子育てはいけないのでは、とかこうしようとか個人ごと家族ごとに思うのは自然で、でもどうなるかわからないよね、ということでいいわけですよね。
— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2020年9月26日
千葉雅也『ツイッター哲学』発売 on Twitter: "そもそも親がどう振る舞ったら子供はこう育つという確約はないわけで、結局、偶然性ですよね。もちろん、こういう子育てはいけないのでは、とかこうしようとか個人ごと家族ごとに思うのは自然で、でもどうなるかわからないよね、ということでいいわけですよね。"
子供でもなんでも、今まで面倒を見ていた存在とあるときパッタリと関係を絶っても、それでも世界は生き生きと動いていくし、人は幸せになる。
— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年3月16日
千葉雅也『ツイッター哲学』発売 on Twitter: "子供でもなんでも、今まで面倒を見ていた存在とあるときパッタリと関係を絶っても、それでも世界は生き生きと動いていくし、人は幸せになる。"
今まで出会ってそれから再会していない人々で、その後の僕の幸せを少しでも願ってくれた人がいるのだろうか、というかそういう願いが自分に向けられる可能性はつねにあるのだと改めて考えると、今蕎麦屋で、蕎麦うまいなと思っているのだから、それなりに幸せですと答えることができるわけか、と思う。
— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年3月16日
千葉雅也『ツイッター哲学』発売 on Twitter: "今まで出会ってそれから再会していない人々で、その後の僕の幸せを少しでも願ってくれた人がいるのだろうか、というかそういう願いが自分に向けられる可能性はつねにあるのだと改めて考えると、今蕎麦屋で、蕎麦うまいなと思っているのだから、それなりに幸せですと答えることができるわけか、と思う。"
色々と思い出すよね。
私自身も依存家系の貧困家庭に育ち、しんどいこともあったし、
当時、学校や行政からは何の支援もなく辛かった。
だけど今となっては家族の事情を理解しているし、両親への感謝もある。
どんな状況でも幸せになる。
強く生きる。
時間はかかるかも知れないけど、必ず解決する。
周りの仲間からは、そういうことを教えてもらった。
「普通の人になりたい」
「普通の家庭に産まれたかった」
そういう気持ちも経験して、分かるんだけど
でも今では
「普通の家庭で育った普通の人」になりたいとは思っていないんだな。
別に「一般的な人間」になりたい訳でもなく
私は私で、
いたらないところもあるし
性格的に、未熟なままで来てしまった人間
その私と、一緒に歩いてくれる人
普通の人になるよりも、
普通かどうかは分からないけど目の前にいるこの私と、一緒に生きていける人
そういう人と出会う方が
私は数百倍うれしい。
だからもし人生を自由に設定してやり直せるとしても
私はあえて、やり直さないこと
この状況で強く生きることを選ぶと思うんだ。
▼ 多様である自由。これは共感できる。
わたし、かわいそうですか?――『ヤングケアラー わたしの語り 子どもや若者が経験した家族のケア・介護』(生活書院) / 澁谷智子(著者) | SYNODOS -シノドス-
▼ でもやっぱり最後は千葉先生で…
そもそもSNSで猫と犬を見ていて、なんとか食べているなら十分強く生きているのではないでしょうか。強く生きるという言葉の字面に引きずられ、ここからは強い、ここからは弱いという区別をするのが不毛なのです。強さを「発見」するのです。 https://t.co/0WNJgu1ZIA
— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年3月9日
千葉雅也『ツイッター哲学』発売 on Twitter: "そもそもSNSで猫と犬を見ていて、なんとか食べているなら十分強く生きているのではないでしょうか。強く生きるという言葉の字面に引きずられ、ここからは強い、ここからは弱いという区別をするのが不毛なのです。強さを「発見」するのです。… "
そういう訳で、時々モヤモヤはありつつも
強く生きることを決意。
ヤフコメに翻弄されてちゃいけない。
世論は大事で、神様からの忠告みたいなもの。
だけどそこで凹んで腐っちゃったら意味ない訳で
私にはこれ(ヤフコメ)が
「高齢で産むなよ、子どもが可哀想だろ」
「年の差が離れた兄弟を産むなんて無責任」
「所詮、親はお花畑。子どもの気持ちが見えていないだけ」
↑
こんな風に聴こえる
(実際そういうコメントも多かった)
それも一理あるだろうし
確かにうちは富裕層でもなく、三兄弟それぞれ個室をあげられるような家でもない。
ただ、目の前には天真爛漫に遊ぶ2歳と11歳
産まれたばかりの0歳
笑ってるよなぁ。
この子たちは大丈夫な気がするんだ。
うん。大丈夫。自分の感覚を信じよう。
だから必要な部分は肝に銘じて、
あとは気にせず明るく生きる。
ヤングケアラーという新語?に、ちょっとモヤついたこともあったけど
年度末は花丸で締めることにしよう。
それで良いよね。
今日の畑はてんとう虫が毛虫の赤ちゃんの大群に入れ替わっていてなかなか恐怖やったが(笑)
明るくて気持ち良かった。
自然は好きだなぁ。自然体な人も好き。