専業主婦の在宅ワーク---実験中 【個人の日記です。】

ネット素人の専業主婦が、本当に在宅ワークで稼げるのか検証中です。自分の日記です。ハウツーではありません。

手伝えない時の気まずさ

「責任」の対義語ってなんだっけ?と聞かれ、思わず「無責任」と答えてしまった。

 

自分よ、なんて安易な…

 

で、グーグル先生に聞いてみたら「自由」やら「権利」あたりが出てくる

(ほんとに???)

 

結局、対義語はわからんかったんやが

ふと思い出したことが

 

昔、私が聞いた話では

「責任」の出どころは「愛」だと。

 

以前「権利と義務はセットですよ」と言った人がいたんだな。

 

それに対して「いいえ、権利と義務はセットではありません」

 

世の中には色んな事情があって

どうしても義務を果たせない人がいる。

 

その人たちから

「お前は義務を果たしていないだろう」と言って、権利を剥奪できるだろうか。

 

人は人権を持ってうまれ、

 

権利は「義務を果たせなかったから」なんて理由で簡単に奪えるものではない。

 

どんな事情があっても、守られるものだ。

(功労者には功労者なりの人権が、死刑囚には死刑囚なりの人権がある)

 

ってな話で、それについて

「じゃあ全員が義務を果たさず権利を主張したら社会は崩壊するじゃないか」という

 

なんかそういうやり取りがあり、

「権利と義務はセットなのか?」論は決着しなかったのだが

 

それとは並行して

「権利と義務で論じるのではなく、我々は愛と責任で生きるべきだ」と。

 

「愛と責任」というのは

 

まず与えられたものが無償の愛である

 

人は産まれた時は、自分では何もできない。

だから生きていく上で絶対的に無償の愛が必要(母乳であろうと粉ミルクであろうと)

 

そして無償の愛を受けて育つから感謝があり、

その感謝に応えること

 

自分が頂いた愛、頂いた良いものを、この美しい形のままで誰かに大切に届けたい

 

まだ見知らぬ遠くの人たちに

これから産まれてくる次の世代の人たちに

 

壊すことなく、きちんとした形で手渡したい

繋げていきたい

 

そうやって自然と芽生えた想いが「責任」「責任感」なのだと。

 

なのでまずはじめに愛があり、感謝があり、責任が生まれる。

 

他人に対して「責任を取りなさい」と言う前に、まずは愛を与えなさい

 

そうすれば責任は自然と芽生えるだろう

 

我々は「権利と義務」とは、違う次元の世界で生きる、

そんな話だった。

 

ところで最近、少々うしろめたいんだが

あるところで自分は「なにもしていないのに参加する」状態なんだな。

 

次男、三男がまだ小さいし、お手伝いもなかなかできないんだが

一応「とりあえずおいで~」とも言われてるし

 

だからと言ってご厚意に甘え続けていいものか

 

「いつもすみません」

「ありがとうございます」と言い続けるのが肩身狭くなってきた。。。

 

昔、長男が保育園児だった頃、

「子どもが病気ですみません」

「残業できなくてすみません」

「土日でれなくてすみません」

 

できなくてすみません

 

メンタル落ちるのよね…

世間は「周りの人に感謝」

「自分にできることを精一杯がんばるだけで充分」などと、口では色々いうけど

 

実際に自分がその場に立たされたら

「周りの人に感謝」なんて呑気なことは言っていられない。

 

保育園からの呼び出しの電話が鳴るたび、突き落とされるような感覚があったわ。

 

今また似たような状況で(仕事ではないからマシだろうけど)

 

「愛と責任」

 

責任を果たすことより

無償の愛を受けとる方が難しい。

 

周りの人の親切に感謝して生きるより

自分の力で(自分勝手に)やっちまった方が数倍、楽だからだ。

 

そして小さな子どもがいて、「自分の力」だけでは思うように生きられなくなると

どんどん肩身が狭くなっていくんだよなぁ。

 

まあ、しばらくは現状維持で頑張ろう。

「すみません」「ありがとうございます」は言い続けよう。

この肩身の狭い経験がなんの役にたつかは分からないけど、いずれ子どもは成長するし

 

次に繋がる誰かに

 

私もそうだったよ、

何もできなかったよ、

周りにしてもらってたよ、

 

だから安心して、あなたもゆっくり休んで

お子さんとご家族を大切に

 

あとは私に任せて! って

 

いつかは誰かに、言ってあげられるように。

 

 

そういう訳で今は針のむしろな気持ち、

でも多分未来は明るい。

必要な経験だと信じて、感謝を忘れず頑張ろう。