専業主婦の在宅ワーク---実験中 【個人の日記です。】

ネット素人の専業主婦が、本当に在宅ワークで稼げるのか検証中です。自分の日記です。ハウツーではありません。

自我の一つ目

その人が消えて半年、

 

色んな想いがあって

わたしは

 

彼がいなくなったことを

怒っていたのか

さみしかったのか

むしろ、ホッとしたのか

 

今でも

触れられない部分。

 

でも

その人を忘れたことは、一度もなかった。

 

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colont.hatenablog.com

 

こういうことは、何度もあった。

 

「出ていって!」と怒鳴って、

男の荷物を勝手にまとめて家から放り出す。

 

男が、本当に出ていくと

 

泣く

 

「お願い帰ってきて私が悪かったの」と言って

 

男を連れ戻す。

 

そういうアホみたいなやり取りが過去数十回。

同じパターンを、何度も何度もくり返す。

 

 

20代後半、

失恋のショックで会社まで辞めてしまい

 

初めて、小さな祈りと出会った。

 

神様

わたしたちにお与え下さい

自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

変えられるものは変えていく勇気を

そして二つのものを見分ける賢さを

 

(わたしの意思ではなく、

あなたの意志が行われますように)

 

 

その頃、

悩み全部を紙に書き出して

 

◯「変えられるもの」

✖「変えられないもの」

 

悩みの一つ一つに◯印、✖印をつけて

 

「自分は変えられる」

「他人は変えられない」

 

「過去と未来は変えられない」

 

「変えられるものは、現在だけ」

 

「自分の遺伝子は変えられない」

「転職歴は変えられない」

「彼と別れた事実は変えられない」

 

あたかもテストの採点のような仕分けをしていた。

 

このやり方、

20代当時の自分には有益だったと思うけど

 

40代の今は

そういうことはしていない。

 

後の仲間に教わったんだな。

 

この祈りは

 

「神様お与えください」

「二つのものを見分ける賢さを」

 

ここが意図するもの。

 

残念ながら私たちは

 

「変えられるものは何か」

「変えられないものは何か」

 

それを自分の頭で仕分けることができない。

 

自分一人の我の力では物事を判別できない。

 

私たちは

自分が良かれと思ったことを、自分勝手に選び続けて

 

それが仇となって人生が破綻した。

 

かつての選択は

間違っていたんだ。

 

「こうすればうまくいく」

「こうすれば何とかなる」

 

それがことごとく失敗、

 

策も尽きて人生がどうにもならなくなったから、

助けを求めてここに来た。

すでに「底の尽きた人間」だということ。

 

普通の人が一生かけて消費する酒の本数

一生かけて吐く暴言

一生かけて行う過ち

一生かけてつく嘘の量

 

普通の人に与えられた一生分を

私たちは早々と、

 

もう使い果たしてしまったんだ。

 

「こうすればうまくいく」という世間一般のレベルは遥かに超えてしまっている。

 

自分の周りには

「男と別れて体重が34キロになり入院」

「中絶4回目」

「抗酒剤の後に日本酒を飲みました」

「旦那に殴られて骨折」

「そんな状況だけど、今、また妊娠しています」

 

こういう

意味の分からない人間がいっぱいいる。

 

「我々は全員、土の足」で

 

この意味の分からない人間たちは

 

もしかしたら

次は自分だ。

 

そして「こうすれば何とかなる」と言っても、

 

手元には、すでに何も残ってない。

 

その「使い果たして恐怖しか残っていない自分」に

 

思慮分別、

二つのものを見分ける賢さが

神様から今日1日分だけ与えられる。

 

今日の平安は

神の下の小さな自分に止まれ。

 

祈りは

「神様わたしたちにお与えください」

 

私たちは、ずっと前に死んでいてもおかしくはなかった人間で

今日1日は、その自分に無償で貸し与えられた時間だ。

 

 

教えを受けてから、

わたしはノウハウや分析は知識として楽しむし、読むのは好きだが

 

基本は、ただ座るようにしている。

 

「自分の頭で考えない」

「考えよ」

 

この2つは矛盾しない。

 

かなり大変で失敗も多いが、観念することだと思っている。

 

反面、思いがけないギフトにも恵まれる。

過去の事実は変わらないし、過ちには謝罪が必要、

 

ただ少なくとも過去は

自分にとって恥ずかしいものではなくなりつつある。

 

「過去は変えられない」

「過去は変えられた」

 

いずれも、一切の矛盾がない。

 

「祈りは対話、黙想は神の前にただ座ること」

 

小さな祈りのあとは、ただ座る。

 

効果が有るとか無いとか、

そんなことはどうでもいい。

 

奇跡や成功が目的ではなくて、

目的は「ただ座ること」だ。

だから仮に「何も起こらなくても」全く問題ない。

 

祈りの解釈は、人の数だけあるかも知れない。

 

自分の祈りかたも年代によって変化してきたし、

他の人のエピソードや、全く違う解釈を聞くのも楽しい。

 

わたし自身は「静けさと温かさ」を教わって

それが今の祈りになっている。

 

そういう大切なことを、

20代後半には既に手渡されていたんだな。

 

それなのに実践が伴わなくて

30代でもまた、同じ落とし穴にハマる。

 

落とし穴は

彼に皮肉を言ったり、彼を無視したことだけじゃない。

 

「わたしって可哀想」

 

自分のことを不幸だの可哀想だのと思っていて、こうなった。

 

「自尊心」

「献身」

 

これも度々伝えられた。

自覚もある。

わたしには献身の心が極端に少ない。