専業主婦の在宅ワーク---実験中 【個人の日記です。】

ネット素人の専業主婦が、本当に在宅ワークで稼げるのか検証中です。自分の日記です。ハウツーではありません。

他人を何とかしようとしてはいけない

久々に夫婦喧嘩。。。

 

・言い合いはしなかった

(5分程度でこちらから切り上げた)

・家出はしなかった。

 

すげー進歩だよ!(;∀; )

 

・フキハラ

(コップを乱暴に置き、わざと音を立てたり、大きなため息をついたり、態度で威圧する)

 

これは私が悪い。フキハラとは我ながら大人げない…

 

ケンカの理由は30個ほどあるんやが

(日々の小さな不満の積み重ね)

 

それでも割と、普段から不満をためないよう努力してきた。

気持ちはこまめに、丁寧に伝えるとか。

批判ではなく、「私は◯◯で困っている、お願いだから△△してもらえるだろうか」←超、下からお願いベース

 

というこちらの日頃の地道な努力にも関わらず、夫本人の傍若無人ぶり

 

「俺は絶対かわらんからな。自分を変えるつもりもないし変わらん」

 

宣戦布告でたよ((( ;゚Д゚)))

人の指図は受けねえやつ!これ何回目…

 

こうなるともう本当にお手上げなんだよね。

夫が自分の間違いを認めたら全て丸く収まるんだよ。

何故なら今回は誰が見ても夫が間違っているからだ。

勘弁してくれ(;∀; )

 

仕方なく友人にヘルプを出す…

次男三男を夫に預け、友人に話を聞いてもらうことに。

 

「張本人を何とかしようというところから始めてはいけないよ」

 

おおぅ。。。

さすが友人。相変わらず神の声だわ。。

 

例えば、陰湿なイジメ。

あおり運転。

電車内でタバコ吸う奴。

無差別殺傷者。

 

その暴れている張本人を何とかしようとしてはいけない

(返り討ちにあうからだ)

 

余程の有段者でもない限り、あなたは秒でやられる。

出来もしないのに自分で何とかしようとするならむしろ、先に警察を呼びなさい。

 

家族も同じ。

あなたが余程の強メンタルでない限り、あなたは巻き込まれて次第に相手を恨むようになる。

 

家庭の中に困った人がいる、

その困った人を何とかしようとしても、大体は無駄に終わる。

 

例えば、働かない人を働かせる。

無駄遣いやタバコを止めさせる。

育児を手伝うよう強制する。

 

そういう策略は大抵失敗に終わり、「こんなに言ってるのになんでやらないんだ」という怒りに変わる。

 

数回言ってもダメなら今は放っておきなさい。

自分が痛むだけだよ。

そのうち時期はくるから。

 

ああ確かに。。。(/_;)

その通りだよ。。。

夫には色々言ってきたが、言えば言うほど相手も意地になって、自分自身が疲れ果てるだけだった。

こちらが散々MAX頑張って、結果、相手は100が99になるぐらい…

相手が強すぎるんだな!

 

大丈夫。

旦那さんは放っておいても、

あなたはあなたで、好きなことをして笑顔で楽しく過ごす。

周りがどうであろうと、あなたはあなたで自分のやるべきことをしっかりやる。

そうしたら最悪なことは起きない。心配しなくても。

あなたが冷静に対応していれば、旦那さんの行動が、お子さんに悪影響を与えることはない。

極端な話、仮に旦那さんが犯罪者でも、奥さんがきちんと対応していれば子どもは意外としっかり育つ。それがお母さんというもの。

 

友人の言葉は、

いつも心に染みるなぁ。

 

ついでにチェックリストを渡された…

いっぱい当てはまってるよ|д゚)!!

 

・私は首尾一貫しているか

・小さなことを大袈裟にしていないか

・子ども達の話に、充分耳を傾けているか

・子を自分の味方につけようとしていないか

・自分の苦難を子どもに背負わせていないか

・私は礼儀正しいか

 

フキハラしてしまったばかりで、これは手厳しい…

夫を非難している場合じゃない。。。

自分自身も大概不出来な親だよ。。

 

そういう訳で、夫の問題は解消しなかったんだけど

 

むしろ自分自身も問題だらけの人間

 

なんとかすべきは、先ずは自分自身ということがよく分かった…

 

 

人と会って話すって、良いな。

友人のおかげで、最悪だった昨日が

楽しい今日に変わる。

 

世の中には学歴やら職歴やらお金やら見栄えやら、努力して勝ち取るものは沢山あるけど

 

人とのご縁は与えられたもの

自分の努力ではどうしようもないものだから

恵まれたご縁、仲間や恩人は

特に大切にしたいね。

 

なんせ帰宅したら、夕飯を作らなくて済むようにとお弁当が用意されていた。

夫、今日1日の出来事を、待ってました!と言わんばかりに喋る喋る…

 

正直こちらはまだ腑に落ちないし、内心ムカついているのだが、お弁当調達と子ども預かりの感謝もあるし、これにて一旦は夫婦喧嘩終了。

自分の感情、他人の感情

子育てのイライラを卒業するぞ!ニコニコ母ちゃんになるぜ!と思い

グーグル先生にアンガーマネジメントをお調べ頂いたものの、効果いまいち…

 

まあ男子3人いれば余裕で怒るわな( ´-ω-)

早くも春休みが怖い。。。

 

ちなみに友達は

 

『自分の感情のコントロールはできないくせに、他人の感情をコントロールしようと必死になっちゃうんだよね』

 

あああ( ̄□||||!!

それだよ! 私にも超あてはまるやつ!

 

心当たり↓

・夫がイライラし始めると、夫の機嫌をとる。

・夫を怒らせないために、子ども達に静かにしなさいという(そのくせ、子ども達がうるさいと自分は怒る)

・長男が落ち込んでいると、元気を出すよう励ます。

・次男三男が泣き出すと、急に優しくなる(甘やかす)

 

周りの感情に巻き込まれすぎなんだよ。。。

 

その点、夫は他人の感情に左右されない

・(子どもが) 泣こうがわめこうが、駄目なもんは駄目。

・人が落ち込んでいても気付かない。

・世界は戦争でも、決められた時間に筋トレ(超平常運転)

・妻の機嫌が悪いときは放置。

 

うらやましいぜ!

 

「自分は自分、人は人」

「まずは自分自身のことから始める」

「他人の問題から手を引く」

 

心がけよう…

 

昔、教わった言葉で

「自分と相手の間に神様を置く」

 

「放置する」とか「突き放す」「スルー」だと割と厳しい響きになるけど

 

「神様を置く」

「自分と相手の間に、あたたかい距離を作る」

この言い方が、自分にはしっくりくる。

 

あまりにも近付きすぎると

それは支配になる。

 

優しくして欲しい

笑っていて欲しい

幸せになって欲しい

 

それは愛ではなく、支配だと。

 

人には、誰かに優しくできない時だってある。

泣きたい時だってある。

失敗や挫折を経験する権利がある。

 

だからあなたの思う「こうなって欲しい」は

例えそれが良いことだとしても、押し付けなんだと。

 

そういう時は一歩下がって

あとは神様にお任せしなさい、

 

あなたができることは何もありません。

 

「私はお前より偉い」という態度に出ない。

 

自分は無力だということを忘れないように。

 

そういうことが、すぐ抜けるんだよなぁ。

気付いたらいつも

「こうしなきゃ」

「こうした方がいいのに」

「なんでやらないの」

「こうしたら幸せになれるのに」

 

他人のやることに、いちいち腹を立てて

「夫は間違っている」「正しいのは私」と思い込んでいる自分がいる。

反省やね。

 

とりあえず他人のことよりまずは自分のことから。

先週から読み始めた本をしっかり読もう。

外遊びも再開。梅が咲いてて、気持ちのいい1日だった。

 

手伝えない時の気まずさ

「責任」の対義語ってなんだっけ?と聞かれ、思わず「無責任」と答えてしまった。

 

自分よ、なんて安易な…

 

で、グーグル先生に聞いてみたら「自由」やら「権利」あたりが出てくる

(ほんとに???)

 

結局、対義語はわからんかったんやが

ふと思い出したことが

 

昔、私が聞いた話では

「責任」の出どころは「愛」だと。

 

以前「権利と義務はセットですよ」と言った人がいたんだな。

 

それに対して「いいえ、権利と義務はセットではありません」

 

世の中には色んな事情があって

どうしても義務を果たせない人がいる。

 

その人たちから

「お前は義務を果たしていないだろう」と言って、権利を剥奪できるだろうか。

 

人は人権を持ってうまれ、

 

権利は「義務を果たせなかったから」なんて理由で簡単に奪えるものではない。

 

どんな事情があっても、守られるものだ。

(功労者には功労者なりの人権が、死刑囚には死刑囚なりの人権がある)

 

ってな話で、それについて

「じゃあ全員が義務を果たさず権利を主張したら社会は崩壊するじゃないか」という

 

なんかそういうやり取りがあり、

「権利と義務はセットなのか?」論は決着しなかったのだが

 

それとは並行して

「権利と義務で論じるのではなく、我々は愛と責任で生きるべきだ」と。

 

「愛と責任」というのは

 

まず与えられたものが無償の愛である

 

人は産まれた時は、自分では何もできない。

だから生きていく上で絶対的に無償の愛が必要(母乳であろうと粉ミルクであろうと)

 

そして無償の愛を受けて育つから感謝があり、

その感謝に応えること

 

自分が頂いた愛、頂いた良いものを、この美しい形のままで誰かに大切に届けたい

 

まだ見知らぬ遠くの人たちに

これから産まれてくる次の世代の人たちに

 

壊すことなく、きちんとした形で手渡したい

繋げていきたい

 

そうやって自然と芽生えた想いが「責任」「責任感」なのだと。

 

なのでまずはじめに愛があり、感謝があり、責任が生まれる。

 

他人に対して「責任を取りなさい」と言う前に、まずは愛を与えなさい

 

そうすれば責任は自然と芽生えるだろう

 

我々は「権利と義務」とは、違う次元の世界で生きる、

そんな話だった。

 

ところで最近、少々うしろめたいんだが

あるところで自分は「なにもしていないのに参加する」状態なんだな。

 

次男、三男がまだ小さいし、お手伝いもなかなかできないんだが

一応「とりあえずおいで~」とも言われてるし

 

だからと言ってご厚意に甘え続けていいものか

 

「いつもすみません」

「ありがとうございます」と言い続けるのが肩身狭くなってきた。。。

 

昔、長男が保育園児だった頃、

「子どもが病気ですみません」

「残業できなくてすみません」

「土日でれなくてすみません」

 

できなくてすみません

 

メンタル落ちるのよね…

世間は「周りの人に感謝」

「自分にできることを精一杯がんばるだけで充分」などと、口では色々いうけど

 

実際に自分がその場に立たされたら

「周りの人に感謝」なんて呑気なことは言っていられない。

 

保育園からの呼び出しの電話が鳴るたび、突き落とされるような感覚があったわ。

 

今また似たような状況で(仕事ではないからマシだろうけど)

 

「愛と責任」

 

責任を果たすことより

無償の愛を受けとる方が難しい。

 

周りの人の親切に感謝して生きるより

自分の力で(自分勝手に)やっちまった方が数倍、楽だからだ。

 

そして小さな子どもがいて、「自分の力」だけでは思うように生きられなくなると

どんどん肩身が狭くなっていくんだよなぁ。

 

まあ、しばらくは現状維持で頑張ろう。

「すみません」「ありがとうございます」は言い続けよう。

この肩身の狭い経験がなんの役にたつかは分からないけど、いずれ子どもは成長するし

 

次に繋がる誰かに

 

私もそうだったよ、

何もできなかったよ、

周りにしてもらってたよ、

 

だから安心して、あなたもゆっくり休んで

お子さんとご家族を大切に

 

あとは私に任せて! って

 

いつかは誰かに、言ってあげられるように。

 

 

そういう訳で今は針のむしろな気持ち、

でも多分未来は明るい。

必要な経験だと信じて、感謝を忘れず頑張ろう。

 

過去の話

「大切なもの」と「執着」は違うよね、という話になり、ふと思い出したのだが

 

そういや昔の自分、本当~にイタかったなぁ。

 

20歳前後、今から20数年以上も前のことやが

 

当時、彼氏から唐突に着信拒否されたのね。

で、普通はこの時点で気付く

 

実は冷められてたんかなーとか

遊ばれてたんかなーとか

 

なのに、私は真剣に

「彼は事故にあったのかも」

「彼は事件に巻き込まれてるのかも」

 

事件て(笑)

そんな訳ねーだろ!( ´-ω-)

 

着信拒否されてるのに、1日30回ぐらい電話をかけてしまうやつ(もはや生存確認)

 

一週間ぐらいして、

 

いや待てよ。

この1日30回の電話って、相手には届いてないよな?

だって着信拒否だし…

 

急に不安になり、友人に

 

「ごめん、ちょっと私を着信拒否して?」

電話してみる。

 

鳴りません。通知もされません。

 

良かったーーーーー

 

いや、もしさぁ。

本当に嫌で着信拒否なら、

こっちの発信バレてたら恥ずかしいじゃん?

 

「あいつ着信拒否してんのに1日30回ぐらいかけてくるんだぜーやばくね?」みたいな

 

ストーカーだよ。。。

 

そしたら別の友人が、

「え?着信拒否してても分かるよ?」

 

なんですと|д゚)!!

 

別の友人にも着信拒否してもらい、かけてみる。

 

な、な、なーんと!

音は鳴らないが、着信履歴にはバッチリ残ってるじゃねーか((( ;゚Д゚)))

 

どうやら表示は機種によって違うらしい…

先に言ってくれよ!

( ※ 20数年以上も昔の話です。現代は分かりません。)

 

そうなるとこの1日30回の発信が彼氏にバレているかどうか

 

調べようがないんだな!(*_*)

奴の機種しらんし

 

思わず友人に泣きついて慰めてもらう…

アホみたいにジャンジャンかけるからだろ自分よ。。

 

事態に耐えられなくなり、友人に

「ごめん、⚪⚪ちゃんの電話から彼氏にかけて?他の電話からかけるとどうなるか知りたいねん」

 

友人、ぶつぶつ言いながら協力してくれる。

 

友人「もしもし~」

彼氏「はい。」←すぐ出る

友人「あれ?お母さん?ちがう?あ、間違えました?すみませーん」

 

彼氏よ、なに電話でてんだよ!

 

友人「なあ事故でも事件でもなく超フツーに出たで?間違いなく着信拒否やで?」

 

私「いや何かの間違いやって、もう一回かけて?」←なんでやねん

 

そんなに何回もかけたら余計ヤバイやろ!落ち着けよ!と友人に諭される…

 

一週間後、やっぱり現実が受け入れられず、別の友人にまた同じことを頼む

 

友人「もしもし~」

彼氏「はい。」←またもやすぐ出る

 

どーゆーことだよ(;∀; )

 

超!病んだよ…

 

結局2ヶ月後ぐらいに彼氏から電話があり、急に連絡できなくてごめん。と言われ

 

問い詰めたら

浮気してました。と…

(しかも私が浮気相手だったらしく、向こうが本命の彼女だった)

 

それで私を着信拒否→向こうの彼女と再構築、

 

しかし再構築に失敗し、私のところに来たらしい…

 

それを聞いた私は

 

まあ最終的に戻ってきたから、いっか。

反省してるみたいだし。

誰にでも間違いはあるし ←はい?( ´-ω-) 大丈夫か自分よ。

 

普通にまたよりを戻して、周りの友人に驚愕される…(2年ぐらいこれを繰り返して自然消滅)

 

あほやろ!

 

 

という黒歴史を思い出したのだが、そんな話を知人にできる訳もなく

 

知人A「大切なものと執着は違うよねー」

知人B「分かりにくいけどねー」

私「そだねー

 

いやいやいやいや

めっちゃ分かりやすいですけど!(私の場合)

 

そんな話をした1日だった。

 

先月、恵方巻きの願掛けで長男が

「家族が死ぬまで仲良く一緒にいられますように(^^)」

 

長男よ。なんてのび太マインドなやっちゃ!

ほっこり嬉しい気持ちにはなったが

 

でも、この家族は一生家族だけど

子ども三人はいつかそれぞれ自立して、自分の人生をしっかりと築いて欲しい。

 

夫とは、同時に老衰ならラッキーだけど

さすがに同時ってことは無いだろうから

 

残ったほうは、残ったほうの人生を全うする。

自分の人生を。

 

そういう関係でいられたら良いかな。

 

この人がいなきゃ生きていけない!って訳でもなく、一緒にいて、大切で、それでいて自由。

 

経験と共に、気付いたら自分の中の執着心は自然と小さくなっている気がするから

年齢を重ねるって素敵なことかも知れんな。

 

3月4月は色々と環境が変わって大変だけど

20年後に今日を思い出して

 

あの頃、頑張ってたよなぁ。

うん、これからも頑張ろう! って思えるように

 

そんな風に過ごせたら良いね。

 

今日も頑張ろう。

今春の目標

目標大好き人間だから(笑)

シーズン毎に目標を立てたいのよ。

 

ちなみに以前の目標は達成できたのか?

・痩せる → 隠れ食いは無くなった。

・料理 → 自分でいうけど頑張ってる。

・育児 → すみません、理想とは程遠い。

・夫婦 → 割と良好。

・交流 → コロナ禍で児童館が閉鎖した。

・掃除 → (家族が) 汚しまくってます。

 

要は育児なんよね…

自分の思った展開にはいかんのよ。。。

 

まあそれも含めて多分、目標5割は到達した。

この調子で引き続き頑張ろう。

 

加えて、最近気になっていること(自分の欠点)

 

①自分の思い通りにならないと、めっちゃむかつく

(不意にギャン泣きされて、泣く泣く途中退場しなきゃいけなくなるとか)

 

そもそも育児が思い通りになる訳ない。

どんなに根回ししたって、どんなに作戦たてたって、あやつらは泣くときは泣くし、うんち漏らすときは漏らす(/ー ̄;)

こっちの計画をぶち壊しにくるのよ。

 

そんな時に『心を広く持つ!!!』

できるわけないが(笑) 一応、目標に掲げておく。

 

②とにかく疲れる

高齢出産やし。。。

40代から次男、三男と産む人はそんなにおらんだろー、疲れて当たり前だよ!

 

と言い訳したいところだが

 

『それを決めたのは自分だ』

 

自分で選んだ道だからさ。言い訳せんと、腹をくくって生きる。

 

で、それはあくまでも理想で

自分は著しく器の狭い人間やし、無理せず現実的に「ほどほどにして、疲れない生活を送る」もサブテーマに入れておく。

 

③負の言葉

言っちゃうんよねー

 

あーしんど。

あー疲れた。

もーいい。

えっ、また???

知らんし。

ほぼ口癖

 

次男が三歳で。

「あー、⚪⚪疲れちゃったわー」

めっちゃかわいい幼児声でそんなこと言う

 

いかん!!!((( ;゚Д゚)))

私の口癖がうつっとる!

 

そういうわけで『休憩』

 

疲れた、しんどいの代わりに『よっしゃ休憩すっぞ!』

なんだか前向きなニュアンス

 

よし。これでいこう。

 

しかしブログを始めたのが2017年。

あれから現在、

・夫婦喧嘩が大幅に無くなった。

・サークルで信頼できる友達が増えた。

・長男の成績が格段に伸びた。

・お金を自由に使っている(笑)

・心が自由になった。

 

長い目でみたら幸せが深まっていて、それは全く自分とは関係のない力、

 

周りの計らいによるもの

 

私は無宗教だけれども、

「神の恵みによって」というところが自分の人生だったと痛感する

 

神の恵みによって

 

だから「夫婦関係が良くなった」とか

「家族関係が良くなった」

「子どもが健全に成長している」

 

そういうことで、私は大きな顔をしちゃいけない。

 

自分という人間の器の小ささを知っていたら

「うちは再婚ですが上手くいってます!」などと、あたかも自分の手柄のように、ふんぞりかえっては言えないはずだ。

 

初心忘れず。周りへの感謝を忘れず。

調子にのらんと、地道に努力し続けられたらいいな。

 

とりあえず春から長男は中学校、新生活だよ。

親も親で、頑張ろう。

① 心を広く持つ

② 脱・疲労生活

③ プラス言葉

 

以上。自分の覚え書き。