生い立ち授業、つづき。
とりあえず、がんばって提出物を揃えた。
今朝、子どもはいつも通り登校した。
良かった…………………………
結果は散々だったが、なんせ提出さえ終われば一段落。。。
あとは、2月にその生い立ち授業があるらしい。
いやー、引っ張るね。
でもなんせ今月あとは何事もなく無事なはず、、、
結局、話はモヤッと終わった。
一応、事前に腹はくくっていた。
何を聞かれても、嘘はつかんとこう。
話せる範囲で話そう。話せないことは、追々話そう。
要は、わたしが、子どもに、何を伝えたいか。
それだけなんだ。
無事に産まれてきてくれて嬉しい。
今、毎日笑顔で過ごせて嬉しい。
父ちゃんも母ちゃんも、あんたが大好きなんだよ。
言いたいことはこれだけ。
生い立ちなんて関係ない。
(←いや、それだと生い立ち授業の意味が……?
いやいや、そんなの関係なーい!)
覚悟を決めて、子どもと生い立ち授業の宿題にとりかかった。
ようし、笑顔だ。ここ、わたしの本番。
…………………………
ところが。
子どもは子どもで全然、別テンション。
産まれたときの身長は?体重は?……………………に、始まり、
「いやあのね、産まれてしばらくNICUというところにいたんだよ。」
「ふーん。ところで入院ってなに?退院ってなに?」
「いや、入院っていうのは病院にお泊まりしてね、、、」
一向に話が進まない((((;゜Д゜)))
30分かかって、子どもは早産のエピソードやら
元々の出産予定日やらを
プリントに書きまとめてしまった((((;゜Д゜))) 全然、生い立ちじゃないよ……
そして、はっきりと態度にあらわれるのは
要は、子どもは、早く遊びたいのだ。
生い立ちがどうのこうのより、
子どもにとっては、それはめんどくさい宿題プリントであって、
こんなめんどくさいことは早く終わらせて遊びたいのだ。
うん、
わたしのテンションと子どものテンション、
この隔たり………………(T_T)
結局、わたしが思っていたことと、全然違う結果になってしまった。。。
まあ、悪い結果でもないが……
(-""-;)
ただ、母子手帳の名前をみて、
「これ、誰の名前?」と聞いてきた。
うちは0歳から別居してたが、書類上難航して、離婚が成立するまで1年半かかった。
そのため、1歳の頃に保育所の持ち物、全部の苗字を書き換えることになってしまった。
子どもは、4歳ぐらいまでは、そのことを覚えていた。
ある日、違う名前に変わったこと。
保育所の先生から、違う名前で呼ばれるようになったこと。
それが小学生になった今、当時の苗字はもう忘れていた。
子どもは、いつかこの名前をたどって、
その人を探しにいくのだろうか。
子どもは、忘れていた。
だけどいつかまた、戸籍を辿る日がくるのだろう。
そんなことを思った。
その晩、ふと思い出す。
以前、夫と話し合ったこと……
血のつながった父親ではないことを、子どもに、いつ話すか。
話せばきっと、血縁の父親のことを訊いてくるだろう。
元の子どもの父親は、もう縁が切れている。
面会もなにもない。
そのことを子どもが知ったら、子どもはどう思うのだろうか。
生い立ち授業のプリントには、
自分が愛されて助けられて育てられた感謝を知ると書かれていた。
でも現実は、捨てられた子どもだって沢山いる。
当時、夫は一言、
「(子どもが)オッサンになったら全て理解することだ」と言った。
夫は最初から、覚悟を決めていたんだな。
わたしは、子どもを傷つけたくなかった。
離婚して、お父さんなんでおらんのと言われて育った。
かわいそうと言われて育った。
わたしの再婚が決まったとき、お父さんできるもんね!と周りに言って回った。
一緒に暮らすんだとニコニコ笑ってた。
その息子を、更にまた傷つけることはしたくなかった。
真実から永遠に逃げたかった。
でも夫は、いつか子どもが悲しい思いをするだろうことを、最初から知っていた。
思春期もくるだろう、反抗期もくるだろう、
生い立ちに思い悩む日もくるだろう、
おそらく傷つくこともあるだろう、
それを、父親である自分が一緒に乗り越えていくんだと、
夫は始めから決めていたんだろう。
当時の夫の言葉を思い出したら、少しこころが、あたたかくなった。
結局今回、何事もなく終わった。
いつかまた話す機会があるんだろうな。
いつが良いんだろう。小さいうちが良いのか、ある程度大きくなってからか。……まだ、わからない。
今はたくさん楽しい思い出をつくろう。
基盤作り。しっかりした土台作り。ぼちぼちやろう。